徳川直人、1998a、「「自由化」と稲作農家の論理および意味世界」、『村落社会研究』(日本村落研究学会)8:22-33頁。
徳川直人、1998a、「「自由化」と稲作農家の論理および意味世界」、『村落社会研究』(日本村落研究学会)8:22-33頁。
相互行為論の見地から社会学研究における言語論的転回をふまえて、M=Billig のレトリカルアプローチを農村モノグラフに適用したディスコース研究。ただしそこに単なる丁々発止のレトリックを読むのではなく、いわば社会思想を読み込んでいる。(自由市場状況におけるやむを得ざる生存闘争だ、とか、差異の複合による分業だ、のように。ーーそれが本稿にいう「意味世界」(英文タイトルでは Universe of Discourse)である。それはいわゆる「主観的な意識」のことではない。
本稿が関心を寄せているのは、相互行為論の用語を使うなら、農民たちによる「状況の規定」であり農業情勢に関する「解釈」の論理である。換言するなら、次の仮説をとっている。すなわち、環境は行為者に特定の論理を読み取らせる、換言すれば、行為者はみずからの行為を「説明」するための論理を現況から「推論」し、あるいは「組み立て」なくてはならない、ということである。そして自由化は、自らの一存で自由になどならない状況において自己の行為の(農業情勢に関する判断の)正当性を主張するよう迫ってくる、という矛盾の中に農民が投入されたことを意味する。
自由化状況におけるいわゆる「営農志向の分化」に伴い、農家が「自由化」をめぐって惹起された「農政批判」と「自己批判」の論理に挟まれてしまったこと、また、農家が「適地適産」の論理を使用することによって、自らの産米のブランド化=「差別化」をはかるとともに、まさにその論理で自分自身が「淘汰」されかねないという葛藤をかかえこんだ姿を描いた。
集計法にはGTAにならった「切片化」をふまえた論理的再構成という方法をとった。レトリカルアプローチと同様、これによって個体が投入された状況の形式論理的な非一貫性ないしは論理的矛盾が明らかとなった。その他面、この方法では回答が切片に分解され、一個の全体としての文脈が見失われることにもなりかねない。これは従来の「営農志向分析」すなわち個別経営の生産基盤や家族状況をつぶさに見つめることによって実際のまたは可能な営農志向を説明しようとする「農家」単位の研究姿勢と、ややもすればパラダイムテンションをきたすことともなっている。