徳川 直人、2012、「聞き書き、著者性、傾聴」、『情報リテラシー研究論叢』(東北大学大学院情報科学研究科情報リテラシープログラム)1:55-71頁。
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「聞き書き」はきわめて広い範囲でおこなわれており、自叙伝や綴り方と並んで日本社会における一般的な著述実践の大きな特質をなす。
しかし、日常的であるだけに、聞き書く営為の内実について振り返り見ることは少なく、なんとなく「人が話すことをそのまま書き取ること」と思われていないだろうか。それだけでよいだろうか。
この「書き取り」の論理は、質的探究の分野で「写実の論理」と呼ばれているものとほぼ同内容だが、そこでの近年の議論では、その論理に対する批判が展開されている。というのも、その論理では、聞き手=書き手の介在がとかく汚染源としてイメージされ、著述の倫理や責任もただ間違わずに書き取ることに止まってしまいがちだからである。そのうえ、いわゆる当事者なら体験を整然と語ることができるし、明確な意見や要望を持っているだろう、と想像するのは、多くの場合、間違いだと考えたほうがよいくらいなのである。
だとすれば、注意深く聞く耳が人に声を与え、その声が耳を刺激して関心を育てる、といった応答関係の創造が、そこになければならないことになる。これを書き取りや写実のモデルは論理化できない。関心をいかに育てるかといった(考え方によればそれこそが聞く倫理や責任とも言える)問題も等閑視され、無関心が正当化されてしまいかねない。
さきに定義をこしらえておいて個々の著作を評価しようというのではなく、逆に、聞き書きの実際に即して「そもそも」の考察を深めるべきではないか。
--その態度で、本稿では、「聞き書き」の定義が次のようにだんだん更新されてゆく。
1.ある個人の語りをよく引き出すために尋ね、その話をよく聞き、その記録にあまり加工・編集・分析を施さず、できるだけ忠実な再現を旨として書くこと。また、そのように著された作品。
2.聞き手が、自らの関心によって語り手を見いだし、関連する質問をすることで得られた語りについて、できる限り忠実な再現を旨としつつも、書き手の責任において成形し、焦点のある読み物に書き上げる営為、その作品。
3.支配的な言説や一般化された命題ではこぼれおちてしまう話を掘り起こすために尋ね、その具体性や多様性を尊重して傾聴し、意味をくんで書き取る営為、その著作。
4.声を刺激として聞き手が自己の耳の感受性や「権威=著者性」を、いったん解体して再構成してみる試みであり、読み手をその語義での傾聴の営みに誘う書き物。