徳川 直人、2009、「社会的カテゴリーと情報過程」、関本英太郎他編『人文社会情報科学入門』、東北大学出版会:207-230頁。
徳川 直人、2009、「社会的カテゴリーと情報過程」、関本英太郎他編『人文社会情報科学入門』、東北大学出版会:207-230頁。
のちに『色覚差別と語りづらさの社会学』になる端緒。色覚問題についての初めての論考(これ以前から私設ウエブサイトなどにエッセイや資料を載せていたりはしたけれど)。
色覚差別問題に例をとって「語る声」と「聞く耳」の応答関係について考えた。体験者はいかに語り得るのか。その話を私的なものではなく社会的なものとして聞くとはどういうことか。
掲載された書は勤め先である情報科学研究科の人文・社会系の研究者たちが集まって作ったテキスト。私は一編集者であり一執筆者。
*抄録ではありません。
「聞くことのモラル」がもっと問われなければならない。自戒も大いに込めて、私たちはどれだけ他者の声に耳を傾けているだろうか。いや、他者の声を聞くとはそもそもどうすることなのだろうか。
--他者の体験に耳を傾けるという経験の蓄積が、私たちの市民社会に著しく欠如しているのである。
情報教育が問題となるとき、論じられがちなのは主に発信能力の育成である。もちろん、受信も問題になることがあるが、そのいう受信とは概ね発信のための情報収集であることが多い。
情報機器の普及の社会的意義としても、同様に発信機会の増大が語られることが多い。情報倫理が問題になるときも、主に発信のときのネチケットが強調されるのが常である。受信のモラルが問われることはない。受信について言われるのはデマや危険情報に注意すべきこと、といったことであろう。
しかし、対話論的に考えた場合、情報倫理とは何よりも、語る声と聞く耳との応答関係のことであろう。単に危うく怪しい情報をいかに回避するか、ではなく、情報をいかに意味あるものにするか。どんな耳をもって聞くのか。
聞くことの責任、そういえば責任は英語で responsibility だが、その語義に含まれる「応答可能性」という側面に、もっと注目すべきなのではないだろうか。